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2011/10/04(Tue)

殺人者は我々の中にいる

*ブログに載せた日記を一部変更し、転載いたしました。

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『殺人者は我々の中にいる』(原題:Die Mörder sind unter uns)1946年
Wolfgang Staudte (ヴォルフガング・シュタウテ)監督
Hildegard Knef (ヒルデガルト・クネフ) ズザンネ
Ernst W. Borchert (エルンスト・W・ボーヒャルト) メルテンス医師

<簡単なあらすじ>
終戦直後、1945年のベルリン。かつて栄華を誇った大都市も、今や瓦礫の山と化していました。強制収容所で生き延びた写真家のズザンネは自分のアパートに戻ってきましたが、そこには知らない男が住んでいました。戦場から戻ってきたメルテンスという医師です。前線での辛い経験によって心に深い傷を負い、自暴自棄になって夜な夜な酒に溺れるメルテンス。そんな2人は壊れかけたアパートで共同生活を始めました。

 ある日、メルテンスは死んだと思っていたかつての上官と再会します。ブリュックナー大尉です。鉄製のヘルメットを鍋に作り替えて売る事業が大当たりし、彼は豊かで幸せな暮らしをしていました。のうのうと暮らすブリュックナーを見て、メルテンスは激しい怒りを覚えます。ブリュックナーはかつて、大勢のポーランド人の処刑を部下に命じていたのです。1942年のクリスマスのことでした。彼の命令で虐殺されたのは男性36名、女性54名、子供31名。いまわしい出来事からちょうど3年経ったクリスマスの晩、メルテンスは犠牲者に代わって復讐すべく、銃を手にブリュックナーの所へ向かうのでした…。(結末は、一番下の「続きを読む」をクリックしていただくと出てきます)

***************************

 第二次大戦後、ドイツは戦勝4か国(英米仏ソ)の統治下に置かれます。混乱の真っただ中にあったドイツで最初に作られた作品が、この作品。東ドイツ側(まだ「DDR、ドイツ民主共和国」は成立していませんでしたが)で作られた映画です。当時のドイツはまだ瓦礫の山でした。そんな中で撮られた映画は、「瓦礫映画(Trümmerfilm)」と呼ばれたそうです。本作の監督はヴォルフガング・シュタウテ。そんな「瓦礫映画」の代表作と呼ばれるだけあって、破壊し尽くされたベルリンの町並みが何度も映し出されます。撮影用のセットではなく、実際の映像であるため、非常にリアル。かろうじて建っている壁だけの建物。ガラスが割れ、枠だけになった窓。どこまでも続く瓦礫の山。すべて本物。どの風景を見ても、戦争の悲惨さがリアルに伝わってきます。

 ヴォルフガング・シュタウテは、戦後は東ドイツで映画を撮っていましたが、その後西ドイツへ移住。一貫して左寄り・西ドイツ批判の映画を作り続けたそうで、60年代の西ドイツでは冷遇されていたそうです。本作はナチが犯した罪を告発する内容となっており、タイトルも意味深。「殺人者」が複数形なのです。本編で殺人者として登場する将校は1人なので、この「殺人者s」が意味するものもおのずと分かってきます。制作にあたった映画会社は、ソ連占領地区で設立されたDEFA。当然、内容もかなり左寄り。罪のない住民を虐殺する命令を下したナチの将校は、その罪を悔いることもなく、戦後は事業で成功して豊かに暮らしています。ファシズムの罪と資本家…。そういった構図が浮かび上がってきて、何となく見ていてムムム~となりました。詳しくないワタシが偉そうに書くのははばかられるのですが、「ナチの戦争責任」に対する旧東独の考え方が、早くもここに表れているような…(私の解釈が間違っていたらご指摘ください)

 途中、ブリュックナーが手にしている新聞が大写しになります。その新聞の見出しは「200万人がガス室に送られた」といった内容。アウシュヴィッツという単語も見えます。ソ連占領地域に住んでいた人は、1946年の段階では既にこういった内容を知っていたんですね…。

 ある映画評は、20年代に一世を風靡した表現派映画の影響が見られると指摘しておりました。ワタシもそんな気がしましたです。追い詰められ、精神を病む主人公の描写にその片鱗が…。そして影の効果を駆使する監督だな~とも思いました。また、「ドイツ映画に伝統的な室内劇的要素も見られる」とも指摘されています。

 余談ですが、ズザンネ役のヒルデガルト・クネフがこの作品でブレイク。世界的に有名になったそうで、このあとハリウッド映画にも出演しています。ぬゎんと、ドイツで初めて映画内でヌ~ドになった女優さんだとか。カトリック教会が猛烈に抗議したそうです。

<おまけ 瓦礫映画ってナンジャラホイ?>
第二次大戦後、1945年から1948年にかけて製作された映画で、文字どおり国土が瓦礫ばかりだった時代に生まれたため、そのように呼ばれているんだそうです。当時のドイツは米英仏ソ4カ国による統治下にありました。ナチの下で国有化された大会社ウーファは解体され、その後国内に存在したのはソ連占領地域に設立されたDEFAや、西側の小規模な映画会社やスタジオ。ナチお抱えの映画人は多くが映画界から追放され、機材やスタジオも焼失した中、撮影は困難を極めたんだそうです…。「瓦礫映画」が描いたのは、廃墟の中で生きる人々の様子や、ナチが犯した罪などだそうです(← 実際に観たわけではないので、伝聞ですが)。



<結末>(ネタばれあり)

 銃を手にしたメルテンスは、ブリュックナーを殺そうとします。ところが間一髪のところでズザンネが説得、思いとどまらせます。犠牲者に代わって復讐するのではなく、法の裁きに委ねるべきだと。メルテンスはブリュックナーを告発し、彼は刑務所へ。「私は無実だ」とブリュックナーが何度も叫ぶところで映画は終わり。メルテンスも医師としての誇りと使命を思い出し、医療で人を助けようと思い直すのでした…。

 最初の脚本では、メルテンスがブリュックナーを殺すところで終わっていたんだそうです。ところがソ連当局からクレームがつき、法の裁きに委ねる内容に変わったんだとか。市民がナチの犯罪者にSelbstjustiz (私的制裁)を加える風潮が出来てしまうのを怖れたんだそうです。
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