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2011/08/21(Sun)

嘆きの天使

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『嘆きの天使』(原題:Der Blaue Engel)1930年
Joseph von Sternberg (ジョセフ・フォン・スタンバーグ)監督
Heinrich Mann(ハインリヒ・マン)原作
Marlene Dietrich (マレーネ・ディートリヒ)ローラローラ役
Emil Jannings (エミール・ヤニングス)ラート教授

<簡単なあらすじ>
 ラート教授はギムナジウムで英語を教える非常に厳格な先生。博士の肩書きも持つ教養ある人物で、反抗期の生徒たちを厳しく指導していました。しかし家にはお手伝いさんだけ。毎朝、さえずりを楽しみにしていた小鳥も死んでしまい、わびしい生活を送っています。

 そんなある日、生徒たちが盛り場に出入りしていることを知り、取り締まりに乗り込みます。そこは場末のキャバレー「嘆きの天使」。旅芸人の一座が芸を披露していました。場末特有の退廃的な雰囲気に嫌悪感を抱く教授でしたが、そこで美しい足を惜しげもなく披露しながら歌う娘に心を奪われます。一座の看板娘、ローラローラでした。厳格だった教授はすっかり魅せられ、ローラローラ目当てに通うようになります。盛り場の女性と付き合っていることが校長に知れ、ラート教授は職を失います。次の興業を行う町へ移動するその日、教授はローラローラに求婚するのでした。ローラローラも結婚を受け入れ、2人は結ばれます。ギムナジウムの教授という、誰からも尊敬される職業を失っても教授は幸せでした。愛するローラローラと一緒にいられるのですから。

 蓄えの尽きた教授はローラローラの一座とともに各地を巡業して回ります。ローラローラの歌が終わるとブロマイドを客に売るのが彼の仕事でしたが、プライドが邪魔をして稼ぐことができません。そんな教授も舞台に立つことになりました。かつて教授として教えていた町で興業することになったのです。昔の教え子や同僚の前で道化の芸を披露をするのは屈辱でした。道化師の衣装に身を包んだ教授がふと舞台裏に目をやると、妻のローラローラは別の男に言い寄られています。舞台では頭で生卵を割られ、鶏の鳴き真似を強要される…。誇り高き教授は屈辱にまみれ、自暴自棄になって暴れるのでした…

****************************

 それまで無名だったマレーネ・ディートリヒが、これで一気にスターダムにのし上がったことで知られる有名な作品。ネットで立派な解説がいろいろ読めますので、今さら私が何かを書いたところで、申し訳ないばかりなのですが…。若くて無邪気なローラローラに一目惚れし、すべてを捨ててでも一緒になろうとする教授が哀しい。老いらくの恋は激しいんですよね。「教授+博士」とうダブルの肩書きは、ドイツでは水戸黄門の印籠。誰もが「はは~」っとなっちゃうくらい、権威があるものだと思います。でも、そんな肩書きも場末で陽気に歌う若い娘には通用しない。「それが?」といった反応に、教授はある種の新鮮さを感じたのではないでしょうか。若くてはつらつとしていて したたかで、小悪魔的な魅力があって。それまで大切に守ってきたものを教授に捨てさせるのに十分な魅力だったのでしょう。それがいつしか娘の下僕のようになり、ひざまずいてストッキングをはかせるほど落ちぶれてしまいます。誇り高き教授も肩書きや職を失うと、こうも惨めなのか。カレンダーが映るシーンがありますが、時は1929年。世界恐慌の時代ですよね。町は失業者であふれ、その日のパンを稼ぐだけでも大変な時代。ラート教授のような運命をたどった紳士も多かったのかも。

 この作品の監督はドイツ系ユダヤ人ジョセフ・フォン・スタンバーグ。幼い頃にアメリカにわたりましたが、ドイツに戻ってこの作品を撮っています。無名だったマレーネ・ディートリッヒを発掘して主役に抜擢した話は有名です。原作はハインリッヒ・マンの「Professor Unrat」。教授の名は「Rath(ラート)」でしたが、生徒たちが頭に「un」をつけて、「Unrat(ウンラート)」と呼んでいたことに由来します。Unrat とは「汚物、クズ、排泄物」という意味。原語で考えると哀しいです。そのあだ名のとおり、悲惨な最期を遂げます。自身が教鞭を執っていた高校の教室に遺体が転がっていたのですから…。

 ご参考までに、ある映画評を引用いたしますね。個人的には、うがった見方のように思えるのですが…:
『高校教師という職業が、ドイツでは一つの権威を象徴し、女との生活に託した自由への脱出が、結局主人公を自滅させる――と見るのはクラカウアーである。映画の成功は、ディートリッヒという新しい性の魅力をめぐるマゾ的な共感によるものにほかならない。とすれば、この自虐性こそ、高校教師に代表されるドイツ中産階級の立場――やがてヒトラーに屈服する彼等の未来を予言していると言えるのである』(以上、キネマ旬報社「世界の映画作家34ドイツ・北欧・ポーランド映画史」より引用いたしました)

(あり注:クラカウアーとは、「カリガリからヒトラーまで」の著者である学者ジークフリート・クラカウアーのことです)

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