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2011/07/29(Fri)

白バラの祈り ゾフィー・ショル、最期の日々

白バラ1

『白バラの祈り ゾフィ・ショル、最期の日々』(原題:Sophie Scholl - Die letzten Tage、2005年)
Marc Rothemund(マーク・ローテムント)監督
Julia Jentsch(ユリア・イェンチ)ゾフィー・ショル
Fabian Hinrichs(ファビアン・ヒンリヒス)ハンス・ショル
André Hennicke(アンドレ・ヘンニッケ)ローラント・フライスラー

 ゾフィー・ショルはミュンヘン大学の学生。兄のハンスたちとともに反政府組織「白バラ」を結成し、地下活動を行っていました。ナチ政権に反対し、戦争の早期終結とサボタージュを訴えるビラを刷っては密かに郵送していたのです。ところが大学構内でビラをまこうとしているところをゲシュタポに見つかり、身柄を確保されてしまいます。1943年2月18日のことでした。最初はシラを切っていた2人でしたが、家から郵送用の切手やビラの草案、仲間とやりとりした手紙が見つかり、動かぬ証拠となってしまいます。

 彼らを裁くのは悪名高いローラント・フライスラー判事。高圧的な態度で一方的に断罪することで知られていました。21歳のゾフィーは毅然とした態度で法廷に立ち、たった1人で立ち向かうのでした…。

***********************

 本作は史実を映画化したものです。allcinemaによりますと、90年代に東ドイツで新たに見つかった尋問資料を軸に当時を忠実に再現したとのこと。わずか21歳の女性が毅然とした態度で正義を訴える様子が胸を打ちます。
公式HP(ドイツ語)

<おまけ>
ゾフィーたちを裁いたフライスラー判事は、その高圧的な手法で有名です。ご参考までに、どんな人物だったかご紹介いたしますね。

『フライスラー:1893-1945、1942年から45年まで、ベルリンの民族裁判所(Volksgerichthof*)長官。また、ユダヤ人虐殺のシナリオを練った42年のヴァンゼー会議出席者の1人としても知られている。フライスラーは法律家の資格を取得し、やがてロシアで捕虜を体験、1925年にナチ党に入党する。その後、ヒトラーお気に入りの法執行者となり、43年に「白バラ運動」のショル兄妹、そして翌年のヒトラー暗殺未遂事件関与者を裁いた。彼が裁くベルリンでの公判の模様が映画に収められているが、それには大声でがなり立て、死の宣告前の囚人に対する計算し尽くされた精神的虐待を加える彼の様子が映し出されている。』(以上、三交社「ナチス第三帝国事典」より一部引用)
*民族裁判所:1934年に設置され、政治犯などを扱ったナチ政権下の特別法廷。(小学館独和大辞典より)

『フライスラーは真赤な法服をまとって登場し、ほとんど1人で審理を進めた。怒鳴り散らすかと思うと長広舌をぶち、被告の発言を思うままにさえぎった。とくに被告が反ナチ行動に出た動機を説明しようとすると、揚げ足をとり、皮肉を浴びせ、ついには発言を禁じた。現代の感覚でいう裁判とは似ても似つかぬもので、ひっきょうナチズム礼讃の茶番にすぎなかった』『被告たちを次々と容赦なく処刑場におくりこんでいたフライスラー自身に、運命の鉄槌がしのび寄っていたことを本人は、知るべくもなかった。45年2月3日の午後、シュラーブレンドルフに対する公判が始まろうとしたところで、空襲警報のサイレンが鳴り響き、判事、検事、被告ともぞろぞろ地下室に避難した。その直後、人民裁判所の建物が直撃弾に見舞われ、フライスラーは落ちてきた地下室の梁の下敷きになって瀕死の重傷を負い、すぐ病院に担ぎ込まれたが、死んでしまったのである』(以上、中公新書「ヒトラー暗殺計画」小林正文著 より引用)


裁判を行うフライスラーの映像

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2011/07/28(Thu)

アイガー北壁

アイガー北壁

『アイガー北壁』(原題:Nordwand, 2008年)
Philipp Stölzl (フィリップ・シュテルツル) 監督
Benno Fürmann (ベンノ・フュアマン) トニー・クルツ役
Florian Lukas (フローリアン・ルーカス) アンディ・ヒンターシュトイサー役
Johanna Wokalek (ヨハンナ・ヴォカレク) ルイーゼ役
Ulrich Tukur (ウルリッヒ・トゥクル) アーラウ役
公式HP(日本語)

 トニー・クルツとアンディ・ヒンターシュトイサーは優秀な登山家として知られた存在でした。時は1936年。ナチ政権はドイツ民族の優秀性を世界に示すべく、アイガー北壁の初登頂をドイツ人クライマーに達成させようとしていました。初登頂者には同年に開催予定のベルリンオリンピックで金メダルを授与すると発表。しかしそのアイガー北壁 (Nordwand) は“殺人の(Mordwand) 壁”と怖れられたルートで、その前年には有名な登山家が2名死亡した“最後の難所”でした。

 駆け出しの新聞記者ルイーゼは、この2人と同郷だということで抜擢され、彼らを取材することになりました。アイガーへの挑戦を勧めるルイーゼ。トニーは躊躇するものの、人跡未踏の地に足を踏み入れたいと思うのは登山家として自然な気持ちでした。結局、2人は北壁の登頂を目指します。

 現地へ向かうと、ふもとでテントを張るオーストリア人の登山家に出会います。彼らもまた、初登頂を狙っていたのでした。彼らに負けじと、トニーとアンディは夜中に出発します。登攀開始直後は順調に進みました。アンディはザイルを使って壁を横断。そのルートは後に“ヒンターシュトイサー・トラバースと命名されます。ところが後を追いかけるオーストリア人の1人が落石から頭部を負傷、登攀が困難となります。やがて天候も悪化。彼らは合流し、登頂をあきらめて下山することにします。しかし天候は回復せず、状況は困難になる一方。そして悲劇が起こるのでした…

***********************************

アイガー北壁の初登頂にまつわる悲劇をシュテルツル監督が映画化したものです。戦前、ドイツには「山岳映画(Bergfilm)」という固有のジャンルがあり、人気を博していました。飛行機を使ってアルプスを撮影したり、雄大で時に厳しい自然をカメラに収めるなど、様々な手法を確立したアーノルト・ファンク監督やルイス・トレンカー監督は「山岳映画の巨匠」と呼ばれ、一時代を築きました。しかしそういった山岳映画がナチの国威発揚に利用された経緯から、戦後はタブー視されるようになったと言います。その山岳映画をもう一度、新たな視点から撮り直そうというのが、シュテルツル監督の試みでした。

 しかし本作の撮影には莫大な費用と手間がかかったそうで、監督も来日時の舞台挨拶で「当分、山はカンベン」と言っていました。ヘリを飛ばすにも巨額のコストがかかるそうです。せっかくヘリを手配したのに、その日の気温が上がって雪崩の危険があるため、撮影中止になったこともあったそうです。ヘリ代がパア。さんさんと太陽が降り注ぐ中、うなだれてベンチに腰掛けていた~云々といったこともインタビューで答えていました。そこまでの思いをしながら撮影しただけあって、映像はとてもリアル。当時の貧弱な装備にも驚かされます。新素材を駆使した装備が当たり前の今と違い、すべてが綿や麻、ウールといった天然素材。登攀に欠かせないハーケンやアイゼンなどの登山用具も手作りでした。見ているだけで寒くなるリアリティです。
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2011/07/27(Wed)

吸血鬼ノスフェラトゥ

       ノスフェラトゥ1

『吸血鬼ノスフェラトゥ』 (原題:Nosferatu, eine Symphonie des Grauens、1922年)

Friedrich Wilhelm Murnau (フリードリヒ・ヴィルヘルム・ムルナウ)監督
JOFA Atelier (ヨファ撮影所) 制作
Max Schreck (マックス・シュレック) オルロック伯爵
Alexander Granach (アレクサンダー・グラナッハ) 不動産業者クノック
Gustav von Wangenheim (グスタフ・フォン・ヴァンゲンハイム)フッター

 時は1838年。ヴィスボルクという町に暮らすフッターは美しい妻エレンと幸せに暮らしていました。不動産業者クノックは自分の下で働くフッターに言います。「トランシルヴァニアのオルロック伯爵が、古くて荒涼とした屋敷を探しておられる。お前の家の向かいにある家をお薦めしろ」と。早速、フッターは伯爵と会うべく、トランシルヴァニアへ馬車で向かいます。そこは亡霊が出るとの噂が絶えない地でした。
 トランシルヴァニアに近づくと、馬車の御者は逃げ出してしまいます。地元の住民ですら近づかない呪われた地なのでした。フッターは迎えの馬車に乗り、伯爵の城へと向かうのでした。
 城で夜を過ごすにつれ、フッターも異変に気がつきます。首に何かの刺し跡が残っていたのです。危険を察したフッターは急いで逃げ出します。一方、伯爵もいかだを使い、ヴィスボルクへと向かっていたのでした。町では疫病が流行り始め、人々は次々と死んでいきました。そして夫を待つエレンに吸血鬼の魔の手が…

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「メトロポリス」のフリッツ・ラング監督と並び称されるサイレント映画の巨匠、F.W.ムルナウ監督の吸血鬼映画です。ホラー映画の原点とも言われているそうです。有名な「吸血鬼ドラキュラ(ブラム・ストーカー作)」を映画化する予定だったそうですが、著作権の取り扱いについて折り合いがつかず、ムルナウは登場人物の名前やタイトルを変えて制作したと言われています。(たとえば、ドラキュラ伯爵 → オルロック伯爵、という風に。) しかし原作者側は納得せず、著作権について制作後も双方が争う事態になりました。

 他のサイレント作品と同様、本作もオリジナルのプリントは紛失。復元に多くの手間がかかったそうです。残っていたフランス語版や、海外のアーカイブに保存されていたコピーを基に復元されたのこと。挿入される字幕(インタータイトル)もアーカイブに残されていたコピーや資料を基に、新しく作り直すなどして完成させたそうです。

 光と影を駆使した構図が当時としては斬新。1929年にはアメリカでも公開されました。伯爵が目をつけた建物はリューベックの塩の倉庫で撮影されたそうです。ひたひたと迫ってくる吸血鬼オルロック伯爵の影は確かに恐ろしい。大写しになった伯爵の顔は、ちょっぴりユーモラスではありますが…。なお、コチラのサイトでは、様々なバージョンの DVD ジャケットが見られます。元祖ホラー映画は、やっぱり人気なんですね。

参考サイト Filmportal(ドイツ語)

    のすふぇらとぅ2
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2011/07/25(Mon)

みえない雲

       みえない雲1

『みえない雲』 (原題:Die Wolke、2006年)
Gudrun Pansewang (グードゥルン・パウゼヴァング)原作
Gregor Schnitzler (グレゴアー・シュニッツラー)監督
Marco Kreuzpaintner (マルコ・クロイツパイントナー)脚本
Paula Kalenberg (パウラ・カレンベルク) ハンナ
Franz Dinda (フランツ・ディンダ) エルマー
映画情報サイト(ドイツ語)

 ハンナは、どこにでもいるごく普通の高校生。幼い弟ウリーと母親の3人で幸せな生活を送っていました。あるとき、前から気になっていた男子生徒エルマーに誘い出されました。突然のキスにとまどっているうちに校内のサイレンが鳴ります。近くの原子力発電所で事故が発生し、放射線が漏れ出したことを知らせる警報でした。慌てて家に帰る生徒たち。ハンナが自宅に戻ると、弟も家に帰っていました。出張中の母から電話が入りますが、通話は途中で切れてしまいます。母の身を案じつつ、エルマーが迎えに来てくれるのを待つハンナでした。

 しかしラジオの報道を聴いたハンナは、自転車で避難することに決めます。町は逃げだそうとする人であふれていました。ところが避難中、弟のウリーが交通事故に遭います。呆然とするハンナ。すぐそばまで、放射線を含んだ雲が迫っていました。雨に打たれたハンナは病院に担ぎ込まれたものの、被曝による重い後遺症に苦しむのでした。体の不調だけでなく、差別という見えない後遺症にも。

************************

 この映画が公開されたときは、まさか似た事故が日本でも起きるとは思ってもいませんでした。監督がインタビューで言っていました。「日本にはこれだけたくさんの原発があるのに、なぜ無関心でいられるんだろう?」 その言葉が、今になって重くのしかかります…。ハンナを演じたパウラ・カレンベルクさんは、チェルノブイリ事故が起きた86年生まれ。来日時のインタビューで片方の肺がなく、心臓に穴が開いていたという衝撃の告白を行います。事故と関連があるかどうかは不明ですが。(役作りで頭髪をすべて剃った彼女でしたが、来日時は髪も伸びていました。舞台挨拶を見たのですが、とってもかわいらしい女性でした。)最初こそ牧歌的な雰囲気の中、ほのぼのとしたムードで物語は進行していくのですが、中盤~後半は重苦しいです。ただ、そんな中でも主人公がけなげかつ前向きでいるのが救いです。

 本作は同名の小説を映画化したものです。86年に起きたチェルノブイリ事故で深刻な被害を受けたドイツは、原発に対する意識が高い国です。この映画が公開された頃、原発事故を「他人事」と思っていた自分が恥ずかしいです…。

         みえない雲2

         小学館文庫「みえない雲」
         グードルン・パウゼヴァング 原作
         高田ゆみ子 訳
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2011/07/25(Mon)

ビヨンド・サイレンス

           ビヨンド・サイレンス1

『ビヨンド・サイレンス』 (原題:Jenseits der Stille、1996年)
Caroline Link (カロリーネ・リンク)脚本・監督
Sylvie Tastud (シルヴィー・テステュー)ララ
Tatjana Trieb (タティヤナ・トリープ)子供時代のララ

 聾唖者の両親を持つララは、美しい自然に囲まれた環境でのんびり暮らす少女。手話を使って両親の通訳をしています。そんなララの憧れは、クラリネット奏者の叔母クラリッサ。自信にあふれた美しい女性でした。クラリッサがプレゼントしてくれたクラリネットにララも夢中になります。ところが娘が奏でる音楽を聴くことができない父親は、演奏に夢中になるララに一抹の寂しさを覚えるのでした。明るく前向きな母が、そんなララの理解者でした。成長したララは音楽の道に進もうと決心し、父の猛反対を押し切ってベルリンのクラリッサの元へ行きます。音大受験に備え、クラリネット漬けの夏休みを過ごすためでした。そこで聾唖学校の教師トムと知り合います。トムとの出会いに胸をときめかせるララに、訃報が飛び込んできたのでした…

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カロリーネ・リンク監督が手がけた最初の長編映画で、アカデミー賞外国語映画賞にもノミネートされた作品です。リンク監督は人物描写がとても上手だと毎回思います。刻々と変化する心情や、成長していく過程などが丁寧に描かれています。決して押しつけの感動ではなく、自然と感情移入できてしまうのです。そんな作品作りに長けている監督です。子供の頃のララを演じた少女の演技が圧巻。子役にありがちな、こまっしゃくれたところがなく、とても好感が持てるのです。お茶目で魅力的な母を演じた女優はフランス人女優。屈折いていてちょっと気難しいけれど、人一倍家族を愛する父親を演じた俳優はアメリカ人。どちらも聴覚障害をお持ちです。インタビューによると、フランスやアメリカの手話はドイツの手話と異なるとのこと。撮影のためにドイツの手話を学び直したとの話でした。美しい田園風景、しんしんと雪が降り積もるクリスマスの夜、垢抜けて都会的な叔母の暮らしぶり。どれをとっても絵になるのです。そんな中で成長していくララの姿は頼もしくもあり、切なくもあり。名作です!!!

<おまけ>
本編中に流れるクラリネットの響きがとても印象的。音楽を手がけたのは、ニキ・ライザーという作曲家。リンク監督の作品のほかにもドイツの映画音楽を多く手がけている音楽家です。

   ビヨンドサイレンス2
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