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    字幕ほにゃく犬「ありちゅん」が、字幕ほにゃくハリ「ぐ~ちゃん」とともに書くドイツ映画日記

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2011/09/25(Sun)

グッバイ、レーニン!

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『グッバイ、レーニン!」(原題:Good Bye, Lenin!)2003年
Wolfgang Becker (ヴォルフガング・ベッカー) 監督
Daniel Bruehl (ダニエル・ブリュール) アレックス
Katrin Sass (カトリン・ザス) 母
Maria Simon (マリア・ジーモン) アリアーネ
Tschulpan Chamotowa (チュルパン・ハマートヴァ)
Florian Lukas (フローリアン・ルーカス) デニス
Burghart Klaussner (ブルクハルト・クラウスナー)父

 1989年10月、東ベルリン。DDR(ドイツ民主共和国、東ドイツ)に住むアレックスの母はガチガチの共産主義者。理想的な国家を目指して日々努力する、理想的な「東ドイツの母」です。一方、アレックスは母とは反対の立場。DDR建国40周年の記念行事が催される当日も、アレックスは民主化を求めるデモに参加していました。その彼の目の前で母が倒れます。心筋梗塞でした。

 倒れたその日から、母はこんこんと眠り続けます。母が意識を失っている間に東ドイツの状況は激変。ベルリンの壁が崩壊し、国境が開かれ、世の中の流れは一気に東西統一へ。アレックスも生まれて初めて西側の地を踏みました。姉アリアーネはさっさと大学を辞め、ハンバーガーチェーンで働くことになります。衛星テレビを取りつける会社に勤めたアレックスは、ワールドカップという特需の恩恵を受け、忙しい日々を過ごします。ソ連から来ていた看護師のララとも親密な仲に。そんな中、母が8か月もの眠りから覚め、意識を取り戻しました。しかし心筋梗塞を患った母にショックは禁物。愛する祖国がなくなりかけていることを知ったら命取りになりかねません。アレックスは、壁の崩壊という歴史的事実を隠し、何もなかったかのような生活を装うことに決めます。

 壁の崩壊を隠すこと ― それは、急速に西側化していく東ドイツの実情を隠すことでした。ものすごい勢いで失われていく旧東ドイツの“遺品”をかき集め、歴史の流れに逆行しようと涙ぐましい努力を払うアレックス。資本主義の象徴たるモノであふれかえる世間から隔離された自宅の部屋の中だけは、以前と変わらない東ドイツが存在するのでした。そんなアレックスの献身的な看病が功を奏し、母も一時は小康状態を保ちます。しかしその後、容体が悪化。西側へ行ったまま戻らなかった父に会いたがるのでした…

***************************

 あまりにも有名な作品なので、今さらワタシがご紹介するのも気が引けちゃいますです。壁の崩壊と東西統一を面白おかしく描いた作品ですが、ドイツ以外の国でも広く支持されました。久しぶりにDVDを見ましたが、愉快で楽しい作品のはずなのに、なぜか一抹の寂しさがつきまとう。外国人である私にも、なぜか「オスタルギー(ノスタルジーと“東(オスト)”の造語)」が感じられるのです。共産圏特有の「トンデモ」な面を揶揄しつつ、そんな中でも理想を追い求めて頑張って生きてきた人たちに対して敬意を払うことを忘れていないからでしょうか。

 具体的に観ていくと、旧東ドイツを知る人にとっては「そう、それそれ!懐かしい~(感涙)」と言いたくなるブツのオンパレード。ピクルス、モカフィックス・ゴールドなるコーヒー、当時どこにでも掛けてあったホーネッカー書記長の写真、ウソを垂れ流した Aktuelle Kamera という番組…。華やかな西側の商品に比べると、はるかに地味で購買意欲をそそらない共産圏の商品は通貨統合と共にあっという間に姿を消しました。そういったモノが手に入るのは、のみの市だけ。誰もが西のモノを追い求めていた中、1人で東のモノを探しまくるアレックスの姿が何とも皮肉に映ります。衛兵交代の後ろをコカコーラのトラックが通るシーンが資本主義の勝利を象徴しています。歴史の中では、確かに東ドイツは消滅し、資本主義の西ドイツが併合した形になったけれど、息子が母を想う気持ちに東西の差はない。祖国を愛し、昔日の思い出を懐かしむ気持ちにも東西は関係ない。モノがなくても、共産党一党独裁の体制が矛盾だらけでも、経済が行き詰っていても、人の気持ちに違いはない。そんな、普遍的で人間的な“愛”にあふれた作品です。決して西側の「勝ち組的上から目線」ではないのです。だからこそ、旧東ドイツの人たちからも支持されたのでしょう。
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予告編 その1


予告編 その2




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2011/09/21(Wed)

善き人のためのソナタ

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『善き人のためのソナタ』(原題:Das Leben der Anderen)2006年
Florian Henckel von Donnersmarck (フローリアン・ヘンケル・フォン・ドナースマルク)監督、脚本
Ulrich Mühe (ウルリッヒ・ミューエ)ヴィースラー大尉
Sebastian Koch (ゼバスティアン・コッホ)ゲオルク・ドライマン
Martina Gedeck (マルティナ・ゲデック)クリスタ=マリア・ジーラント
Ulrich Tukur (ウルリッヒ・トゥクル)グルービッツ
Herbert Knaup (ヘルベルト・クナウプ)ヘッセンシュタイン

<簡単なあらすじ>
 1984年、ベルリンの壁崩壊前の東ドイツ。ヴィースラー大尉は国家保安省(シュタージ)の有能な諜報員で、反体制派の人物に対して厳しい取り調べを行っています。そんなヴィースラーに、劇作家ドライマンと恋人で女優のクリスタ=マリアを監視せよとの命令が下されます。反体制の証拠を見つけるべく、ヴィースラーは作戦を開始。彼らの家に盗聴器を仕掛け、24時間体制で一部始終を記録するのでした。

 そんな中、劇作家ドライマンは、反体制の烙印を押されて活動禁止処分となった演出家イェルスカを何とか元気づけようと努めます。そのイェルスカがドライマンの誕生日に贈った楽譜には「善き人のためのソナタ」とのタイトルが書かれていました。盗聴器を通してその調べを聴いたヴィースラーは強く心を動かされます。そして彼らの思想、彼らの活動に少しずつ共感していくのでした。

 しかし生きる希望を失ったイェルスカは自らの命を断ちます。彼を死に追いやった当局に怒りを覚えたドライマンは、驚くべき手に出ます。西ドイツの雑誌記者に接触し、東ドイツで自殺者が多数出ていることを告発する記事を書き、それを西側で発表したのです。盗聴と監視により、すべてを知るヴィースラーでしたが、なんと2人をかばいます。どうしても証拠を上げたい当局は、あらゆる手を使ってゆさぶりをかけてきます。

 そして壁の崩壊。シュタージの資料を調べ、自分が監視されていたことを知って愕然とするドライマン。さらに、自分をかばってくれた諜報員の存在に気づきます。彼は彼なりの方法で、感謝の気持ちを伝えるのでした…

*******************************

 あまりにも有名な作品なので、今さら私がご紹介するのもなんだか申し訳ない気がします。本作で主人公ヴィースラー大尉を演じたのは、故ウルリッヒ・ミューエ。この作品に出演した数年後にガンで他界しています。旧東ドイツ出身のミューエ氏は、自らもシュタージに監視された過去を持ちます。妻がIM(非公式協力者)として夫であるミューエ氏を当局に密告していたと言われているのです。そんなミューエ氏による真摯な演技はとても迫真的で胸に迫ります。また、フォン・ドナースマルク監督が4年の歳月をかけて調べ上げたという、シュタージの手口が非常にリアル。見ていると背筋が寒くなります。(ただし、徹底的な訓練を受けたエリート諜報員が“変節”することは当時ありえなかった、この映画はシュタージの罪をむしろ矮小化しているとの批判もあるそうです。実際は本作よりもっと厳しかったということでしょうか。批判はあるにせよ、それまで外にはあまり知られなかった秘密警察「シュタージ」がクローズアップされ、その実態が明らかにされたという点で評価されているとのことです。)

 フォン・ドナースマルク監督は、名門ミュンヘンテレビ映画大学の卒業生。この作品は監督の卒業制作でした。低予算でしたが、その脚本の内容や完成度に驚いた俳優やスタッフが、通常のギャラの半分以下で撮影を快諾したため、制作が実現したと言われます。本作はドイツ国内の映画賞を総なめ。そして翌年、アカデミー賞外国語映画賞を受賞しました。

<おまけ>
ミュンヘンテレビ映画大学とは:1967年、ミュンヘンに設立された名門大学。多くの映画人を輩出していることで知られます。卒業生の中には、ヴィム・ヴェンダース監督、ローランド・エメリッヒ監督、ウリ・エデル監督、ドリス・デリエ監督、カロリーネ・リンク監督、名プロデューサーのベルント・アイヒンガーなどなど、そうそうたる顔ぶれが見られます。第二次大戦後、ドイツ映画界は衰退の一途をたどります。優秀なユダヤ系の人材はナチの弾圧から逃れてアメリカへ。ナチお抱えの映画人は戦後は映画界から追放されています。「黄金の20年代」とも呼ばれた、かつての華やかさ・重厚さは失われ、制作されるのはテレビ放映用の映画ばかり。そんなドイツ映画界に危機感を抱いた若き映画人たちがオーバーハウゼンにて「ドイツ映画は死んだ」との声明を発表したのが1962年。その後、ベルリンやミュンヘンにこうした養成機関が設立され、少しずつドイツ映画はかつての勢いを取り戻しつつあったと言われます。

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