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2012/11/14(Wed)

パウルとパウラの伝説

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『パウルとパウラの伝説』(原題:Die Legende von Paul und Paula)1973年
Heiner Carow (ハイナー・カロウ)監督
Ulrich Plenzdorf (ウルリッヒ・プレンツドルフ)脚本
Heiner Carow (ハイナー・カロウ)脚本
Angelica Domröse (アンゲリカ・ドムレーゼ)パウラ
Winfried Glatzeder (ヴィンフリート・グラッツェダー)パウル


<チョ~簡単なあらすじ>

 パウルには美しい妻がいるものの、ソリが合わず、結婚生活はうまくいっていませんでした。一方、向かいのアパートに住むパウラは2人の子供を女手一つで育てるシングルマザー。彼女は幸せな生活を夢見ていました。そんな2人が出会い、恋に落ちます。しかし一途なパウラとは違い、パウルは妻や自分のキャリアを捨ててまでパウラと一緒になる気はありません。仮面夫婦の生活を続けようとします。煮え切らない態度のパウルに腹を立てたパウラは、つい子供につらく当たってしまいます。そんなある日、パウラの下の息子が自動車にはねられて死亡。自責の念に駆られたパウラはパウルと距離を置こうとします。パウラに強烈に惹かれていることに気づいたパウルは(今更ながら)パウラに猛烈アタック。家の前に籠城します。そんな努力(?)が実り、二人はとうとう一緒になります。ところがパウラは医者から出産を止められていました。母体がもたないというのです。パウラはそれでも子供を産むことを選び、そして医師が危惧したとおり命を落としてしまいます。パウルはパウラが残した子供2人、そして自らの子供2人の4人を独りで育てる決意をするのでした…

 …と、簡単にあらすじを書いてみましたが、これだけを読むと安っぽいメロドラマ。まるで昼ドラですな。ところがこの映画、挿入歌とともに大ヒットを記録したそうです。なぜ?どして?パウルの役者さんなんて、まるでゴリラ(失礼)。イケメンとは程遠いし、パウラも「おきゃん」な感じで、美人女優といった雰囲気ではないのです。この映画が公開された1973年と言えば、西ドイツではまだまだRAF(ドイツ赤軍派) によるテロの嵐が吹き荒れた頃。前年の1972年には、RAFの中核メンバー、アンドレアス・バーダーとウルリーケ・マインホフが銃乱射事件などで逮捕されています。そんな激動の時代だっただけに、本作のような「純愛」「一途」「けなげでたくましい主人公」がテーマの映画が西ドイツ国民には新鮮に映ったのかなぁ?

 さらに、この映画が作られた背景も興味深いのです。東独では1971年にヴァルター・ウルブリヒトが書記長の職を降り、エーリヒ・ホーネッカーが後任となりました。文化政策では、それまでの厳しい締め付けが多少緩み、ある程度の自由が認められるようになったとのこと(あくまでも「ある程度」で、厳しい検閲はなされたそうですが)。映画でも、それまでの「いかにも社会主義的」な映画が大衆に飽きられ、映画館の来場者数は大きく落ち込んでいたとのこと。V字回復(?)を狙うためにも、大衆にウケる映画を、という事情もあった模様です。「パウルとパウラの伝説」は一見、単純なメロドラマのように思われますが、シングルマザーのパウラがスーパーのレジで一生懸命働いて子供を育てたり、純粋でとにかく一途だったりと、やはり模範的な部分があったのかと思います。

 さらに面白いのは後日談。一躍スターとなったパウル役の俳優とパウラ役の女優が、80年代初頭に相次いで西へ亡命しちゃったのです。いわゆる「Republikflucht」(共和国からの逃亡)ってやつ。DDRの模範となるべき2人が西ドイツへ行っちゃうなんて、当局のお偉方は頭を抱えたでしょうねぇ…。シャレにならないもん。そしてこの映画は上映禁止となった模様。

 ところが壁の崩壊後、オスタルギーの流れの中で、この映画が再び注目されるようになったんだとか。カルト的人気があるそうで、NHKラジオテキスト「まいにちドイツ語」11月号の巻頭グラビア(…とNHKテキストでも呼べるのかな)にもパンフレットが載っていました。 ベルリンのHackescher Markt という地区にある映画館では、この映画をずっと上映し続けたんだそうです。パウルとパウラが本当に伝説になっちゃった…。

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2011/10/04(Tue)

殺人者は我々の中にいる

*ブログに載せた日記を一部変更し、転載いたしました。

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『殺人者は我々の中にいる』(原題:Die Mörder sind unter uns)1946年
Wolfgang Staudte (ヴォルフガング・シュタウテ)監督
Hildegard Knef (ヒルデガルト・クネフ) ズザンネ
Ernst W. Borchert (エルンスト・W・ボーヒャルト) メルテンス医師

<簡単なあらすじ>
終戦直後、1945年のベルリン。かつて栄華を誇った大都市も、今や瓦礫の山と化していました。強制収容所で生き延びた写真家のズザンネは自分のアパートに戻ってきましたが、そこには知らない男が住んでいました。戦場から戻ってきたメルテンスという医師です。前線での辛い経験によって心に深い傷を負い、自暴自棄になって夜な夜な酒に溺れるメルテンス。そんな2人は壊れかけたアパートで共同生活を始めました。

 ある日、メルテンスは死んだと思っていたかつての上官と再会します。ブリュックナー大尉です。鉄製のヘルメットを鍋に作り替えて売る事業が大当たりし、彼は豊かで幸せな暮らしをしていました。のうのうと暮らすブリュックナーを見て、メルテンスは激しい怒りを覚えます。ブリュックナーはかつて、大勢のポーランド人の処刑を部下に命じていたのです。1942年のクリスマスのことでした。彼の命令で虐殺されたのは男性36名、女性54名、子供31名。いまわしい出来事からちょうど3年経ったクリスマスの晩、メルテンスは犠牲者に代わって復讐すべく、銃を手にブリュックナーの所へ向かうのでした…。(結末は、一番下の「続きを読む」をクリックしていただくと出てきます)

***************************

 第二次大戦後、ドイツは戦勝4か国(英米仏ソ)の統治下に置かれます。混乱の真っただ中にあったドイツで最初に作られた作品が、この作品。東ドイツ側(まだ「DDR、ドイツ民主共和国」は成立していませんでしたが)で作られた映画です。当時のドイツはまだ瓦礫の山でした。そんな中で撮られた映画は、「瓦礫映画(Trümmerfilm)」と呼ばれたそうです。本作の監督はヴォルフガング・シュタウテ。そんな「瓦礫映画」の代表作と呼ばれるだけあって、破壊し尽くされたベルリンの町並みが何度も映し出されます。撮影用のセットではなく、実際の映像であるため、非常にリアル。かろうじて建っている壁だけの建物。ガラスが割れ、枠だけになった窓。どこまでも続く瓦礫の山。すべて本物。どの風景を見ても、戦争の悲惨さがリアルに伝わってきます。

 ヴォルフガング・シュタウテは、戦後は東ドイツで映画を撮っていましたが、その後西ドイツへ移住。一貫して左寄り・西ドイツ批判の映画を作り続けたそうで、60年代の西ドイツでは冷遇されていたそうです。本作はナチが犯した罪を告発する内容となっており、タイトルも意味深。「殺人者」が複数形なのです。本編で殺人者として登場する将校は1人なので、この「殺人者s」が意味するものもおのずと分かってきます。制作にあたった映画会社は、ソ連占領地区で設立されたDEFA。当然、内容もかなり左寄り。罪のない住民を虐殺する命令を下したナチの将校は、その罪を悔いることもなく、戦後は事業で成功して豊かに暮らしています。ファシズムの罪と資本家…。そういった構図が浮かび上がってきて、何となく見ていてムムム~となりました。詳しくないワタシが偉そうに書くのははばかられるのですが、「ナチの戦争責任」に対する旧東独の考え方が、早くもここに表れているような…(私の解釈が間違っていたらご指摘ください)

 途中、ブリュックナーが手にしている新聞が大写しになります。その新聞の見出しは「200万人がガス室に送られた」といった内容。アウシュヴィッツという単語も見えます。ソ連占領地域に住んでいた人は、1946年の段階では既にこういった内容を知っていたんですね…。

 ある映画評は、20年代に一世を風靡した表現派映画の影響が見られると指摘しておりました。ワタシもそんな気がしましたです。追い詰められ、精神を病む主人公の描写にその片鱗が…。そして影の効果を駆使する監督だな~とも思いました。また、「ドイツ映画に伝統的な室内劇的要素も見られる」とも指摘されています。

 余談ですが、ズザンネ役のヒルデガルト・クネフがこの作品でブレイク。世界的に有名になったそうで、このあとハリウッド映画にも出演しています。ぬゎんと、ドイツで初めて映画内でヌ~ドになった女優さんだとか。カトリック教会が猛烈に抗議したそうです。

<おまけ 瓦礫映画ってナンジャラホイ?>
第二次大戦後、1945年から1948年にかけて製作された映画で、文字どおり国土が瓦礫ばかりだった時代に生まれたため、そのように呼ばれているんだそうです。当時のドイツは米英仏ソ4カ国による統治下にありました。ナチの下で国有化された大会社ウーファは解体され、その後国内に存在したのはソ連占領地域に設立されたDEFAや、西側の小規模な映画会社やスタジオ。ナチお抱えの映画人は多くが映画界から追放され、機材やスタジオも焼失した中、撮影は困難を極めたんだそうです…。「瓦礫映画」が描いたのは、廃墟の中で生きる人々の様子や、ナチが犯した罪などだそうです(← 実際に観たわけではないので、伝聞ですが)。


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