• プロフィール

    ありちゅん

    Author:ありちゅん
    字幕ほにゃく犬「ありちゅん」が、字幕ほにゃくハリ「ぐ~ちゃん」とともに書くドイツ映画日記

  • 最新トラックバック

  • 検索フォーム

  • QRコード

    QR

--/--/--(--)

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
ホーム | Category : スポンサー広告 | Comment | Trackback
2012/09/14(Fri)

最後の人

          51N9YMJKB2L.jpg

『最後の人』(Der letzte Mann) 1924
フリードリヒ・ヴィルヘルム・ムルナウ(Friedrich Wilhelm Murnau)監督
カール・マイヤー(Carl Mayer) 脚本
エーリヒ・ポマー (Erich Pommer) 製作
エーミール・ヤニングス(Emil Jannings) 主演

<チョ~簡単なあらすじ>
 高級ホテルのドアマンだった男は、金モールの立派な制服が自慢。その堂々とした制服姿から、近所の人からも尊敬を集めていた。ところが客の重い荷物を扱うのに四苦八苦しているところを支配人に見られてしまう。年齢的限界と判断した支配人は、男をトイレ係に降格させる。自慢の金モールから薄っぺらい白衣姿へと変わり、トイレを掃除しながら客にタオルを渡すことが彼の仕事となった。その屈辱にすっかり打ちひしがれる男。そして降格となったことを家族にも言えず、家に帰るときはこっそり金モールの制服に着替えるのだった。ところがトイレで這いつくばっているところを人に見られ、家族にバレてしまう。家族や近所の人々の冷たい目…。男は絶望した。ところが捨てる神あれば、拾う神あり…(以下、ネタバレになるので省略^^;)

******************************

 ムルナウの傑作と呼ばれる作品の1つで圧巻なのは主演ヤニングスの演技です。インタータイトルによるセリフは全くなく、すべて無言のまま主人公の心の動きを見事に表しています。立派な制服を身にまとって得意げな様子、降格を告げられて打ちひしがれる様子、高慢な客に顎で使われて屈辱に震える姿。この作品でヤニングスは一気にブレイク。その後ハリウッドから招かれることになり、ドイツ人で唯一、アカデミー賞の主演男優賞も受賞しています。しかし英語が苦手だったヤニングスはトーキー出現とともに英語での限界を感じ、ドイツに戻ったとのこと。前からヤニングスは気になっていたのですが、この作品を見てさらに好きになりました!!名作と呼ばれるだけのことはあると、改めて感心。「嘆きの天使」(1930年)におけるラート教授の原点がここにあった!と思えます。また、制服つまり外見によって人の評価がガラッと変わることに対する皮肉も、この作品には込められているのかな、と思いました。結末の展開については意見の分かれるところだと思います。痛快と取るか、カタルシスと取るか、皮肉と取るか。

 なお、この作品は画期的なカメラワークでも知られているんだそうな。ドイツ語の解説を読むと、「entfesselte Kamera(解き放たれたカメラ)」という言葉が出てきます。ちょっと古い本で恐縮なのですが、キネマ旬報社の「世界の映画作家34」の説明をこちらに引用させていただきますね:
『観客をうならせたのは、カメラの自由な動きであった。閉ざされた空間、出口のない現実の中をカメラは自由に動き回り、次々と新しい空間を提示し、めまぐるしい画面の変化のうちに、現実空間は心理空間に、ものは象徴に変わってゆく。』『字幕のかわりに、カメラがセリフを語っている』『マイヤーはシナリオのなかに細かくカメラの動きを書き込みムルナウはマイヤーのイメージを完璧に形象化した』

 脚本家カール・マイヤーについてちょこっと調べたりしているうちに、俄然興味がわいてきてしまいました。この「最後の人」の脚本もそうですが、かの「カリガリ博士の小屋」の脚本家としても知られます。ムルナウ監督がアメリカへ招かれた際、友人であるカール・マイヤーも一緒に来るよう勧めたそうですが、マイヤーは住み慣れたドイツにとどまります。ところがユダヤ人であるが故に、ヒトラー政権成立後には国外へ亡命を余儀なくされました。しかしドイツのような成功を収めることもなく、ロンドンで若くして亡くなったとのこと。




スポンサーサイト
ホーム | Category : 無声映画~トーキーコメント:アイコン Comment0Trackback0
2011/10/04(Tue)

プラーグの大学生

*ブログに載せた日記を一部変更して転載いたしました。


             519ZKXXQAEL__SL500_AA300_.jpg

『プラーグの大学生』(原題:Der Student von Prag)1913年
Stellan Rye(シュテラン・ライ)、Paul Wegener(パウル・ヴェーゲナー)監督
Hanns Heinz Ewers (ハンス・ハインツ・エーヴァース)脚本
Edgar Allan Poe (エドガー・アラン・ポー) 原作
(ドッペルゲンガーが出てくる『William Wilson』に着想を得、エーヴァースが本作の脚本を書いたと言われています)
Deutsche Bioscop GmbH(ドイツ・ビオスコープ有限会社)制作

Paul Wegener (パウル・ヴェーゲナー)バルドゥイン役
John Gottowt (ヨーン・ゴットウト)山師スカピネッリ役
Grete Berger (グレーテ・ベルガー)伯爵令嬢マルギット役

<簡単なあらすじ(ネタばれありです。すみません)>
 1820年のプラハ。貧しい学生のバルドゥインは、プラハで一番の剣の使い手でした。ある日、バルドゥインは乗馬の最中に湖に落ちた美しい伯爵令嬢を助けます。その美しさに一目惚れしたバルドゥインでしたが、無一文の彼と伯爵令嬢では、あまりにも身分が違いすぎます。かなわぬ恋でした。そんなある日、怪しげな山師スカピネッリが彼の部屋を訪れます。伯爵令嬢に近づきたいバルドゥインは、大金をちらつかせるスカピネッリと契約してしまいます。彼は「10万グルデンと引き替えに、バルドゥインの部屋にあるものは何でも渡す」という誓約書にサインをするのでした。そしてスカピネッリは約束どおり、鏡に映ったバルドゥインの姿、すなわち分身を連れ去ってしまいます。

 大金を手にしたバルドゥインは一夜にしてプラハの名士となり、喜び勇んで伯爵令嬢に近づきます。令嬢も立派な身なりのバルドゥインに惹かれるのでした。ところが幸せに浸ったのもつかの間、バルドゥインの分身が行く先々に現れて彼を苦しめます。一方、令嬢には許嫁がいました。恋人を奪われた許嫁はバルドゥインに敵意を示し、とうとう2人は決闘することになります。伯爵令嬢の父が、未来の跡取りの命だけは奪わないでほしいとバルドゥインに懇願したにもかかわらず、分身が先回りして令嬢の許嫁を殺してしまうのでした。

 「決闘の末に相手を殺した」ことからバルドゥインは人望を失い、運命の歯車が狂い始めます。彼は弁解のために令嬢のもとへ駆けつけますが、鏡に姿が映っていないことに気づいた令嬢は恐怖のあまり、失神してしまいます。分身につきまとわれ、追い詰められたバルドゥインは、自分の部屋に現れた分身を撃ち殺してしまいます。ようやく呪縛から解き放たれたと喜ぶバルドゥインでしたが、胸から血が流れていることに気づき、そのまま絶命します。忌まわしい分身を抹殺したつもりが、実は自分自身を撃ってしまったのでした…。

********************************

 「ドイツにおける最初の芸術映画」と呼ばれるサイレント映画「プラーグの大学生(プラハの大学生)」。ドイツ映画史を調べると、必ずと言っていいほど出てくるタイトルです。残念ながら日本ではなかなか手に入らず、ドイツのアマゾンでも在庫切れ。本当はオリジナルのドイツ語バージョンで見たいところですが、それが難しそうなので、アメリカのアマゾンで英語バージョンを注文しました。ただしこのDVDは40分バージョンなので、ところどころ端折られているのが残念。当時のドイツ人が大好きだったと言われる「ドッペルゲンガー(Doppelgänger、分身)」が登場します。1913年に制作された後、1926年と1935年に別の監督、別の出演者によってリメイクされております。

 主演のパウル・ヴェーゲナーは表現主義映画として知られる「巨人ゴーレム」の監督も務めていますね。さらに、ナチのプロパガンダ映画として知られる「コルベルク」(ファイト・ハーラン監督)にも出演しました。ドイツ語のウィキによると、プロパガンダ映画に出演していた一方で、反ナチの姿勢を隠そうともせず、反体制派に資金を提供し、活動家たちを自宅にかくまっていたんだとか。山師を演じたヨーン・ゴットウトは、知る人ぞ知る「ノスフェラトゥ」でブルヴァー教授を演じた人だったんですね…。「山師」という言葉がピッタリの風貌でした。ウッヒッヒ~という笑い声が聞こえてきそうな感じ。サイレント映画の中でも初期の作品だけあり、「室内劇映画」の要素が随所に見られます。役者もスタッフも劇場関係者なので、劇場の影響が色濃く見られます。

*************************************************************************************

                51J0ZP8MQbL__SL500_AA300_.jpg

『Der Student von Prag』(1926年)
Henrik Galeen(ヘンリック・ガレーン)監督
Henrik Galleen(ヘンリック・ガレーン), Hanns Heinz Ewers(ハンス・ハインツ・エーヴァース)脚本
Sokal Film GmbH制作

Conrad Veidt(コンラート・ファイト)バルドゥイン役
Werner Krauss(ヴェルナー・クラウス)山師スカピネッリ役
Agnes Esterhazy(アグネス・エスターハージー)伯爵令嬢マルギット役

 こちらは1926年に制作された「プラーグの大学生」。バルドゥインを演じたコンラート・ファイトは「カリガリ博士」で夢遊病者ツェザーレを演じた俳優さんです。ツェザーレはメイクが濃かった上、ほとんど寝てばっかりだったので、同じ人だとは思えない(苦笑)。こっちの山師は「山師」というより、山高帽をかぶった「謎の男」といった雰囲気。「ウッヒッヒ~」とは決して笑わず、「フフフ…」といった不敵な表情が似合う。旧作に比べると、カメラ向けの演技も撮影方法も格段に進歩し、この間に映画が一大娯楽産業となっていったのが伝わってきます。観客も目が肥えてきていたでしょうね。完成度も高いです。よくよく考えてみると、旧作は第一次大戦前夜、帝政ドイツの時代だったんですねぇ…。一方、1926年版はワイマール共和制に移行した時期。たったの13年ですが、激動の時代だったわけですから、社会の変化は大きかったのでしょう。ナットク。

ホーム | Category : 無声映画~トーキーコメント:アイコン Comment0Trackback0
2011/08/21(Sun)

嘆きの天使

              51EESYWT57L__SL500_AA300_.jpg

『嘆きの天使』(原題:Der Blaue Engel)1930年
Joseph von Sternberg (ジョセフ・フォン・スタンバーグ)監督
Heinrich Mann(ハインリヒ・マン)原作
Marlene Dietrich (マレーネ・ディートリヒ)ローラローラ役
Emil Jannings (エミール・ヤニングス)ラート教授

<簡単なあらすじ>
 ラート教授はギムナジウムで英語を教える非常に厳格な先生。博士の肩書きも持つ教養ある人物で、反抗期の生徒たちを厳しく指導していました。しかし家にはお手伝いさんだけ。毎朝、さえずりを楽しみにしていた小鳥も死んでしまい、わびしい生活を送っています。

 そんなある日、生徒たちが盛り場に出入りしていることを知り、取り締まりに乗り込みます。そこは場末のキャバレー「嘆きの天使」。旅芸人の一座が芸を披露していました。場末特有の退廃的な雰囲気に嫌悪感を抱く教授でしたが、そこで美しい足を惜しげもなく披露しながら歌う娘に心を奪われます。一座の看板娘、ローラローラでした。厳格だった教授はすっかり魅せられ、ローラローラ目当てに通うようになります。盛り場の女性と付き合っていることが校長に知れ、ラート教授は職を失います。次の興業を行う町へ移動するその日、教授はローラローラに求婚するのでした。ローラローラも結婚を受け入れ、2人は結ばれます。ギムナジウムの教授という、誰からも尊敬される職業を失っても教授は幸せでした。愛するローラローラと一緒にいられるのですから。

 蓄えの尽きた教授はローラローラの一座とともに各地を巡業して回ります。ローラローラの歌が終わるとブロマイドを客に売るのが彼の仕事でしたが、プライドが邪魔をして稼ぐことができません。そんな教授も舞台に立つことになりました。かつて教授として教えていた町で興業することになったのです。昔の教え子や同僚の前で道化の芸を披露をするのは屈辱でした。道化師の衣装に身を包んだ教授がふと舞台裏に目をやると、妻のローラローラは別の男に言い寄られています。舞台では頭で生卵を割られ、鶏の鳴き真似を強要される…。誇り高き教授は屈辱にまみれ、自暴自棄になって暴れるのでした…

****************************

 それまで無名だったマレーネ・ディートリヒが、これで一気にスターダムにのし上がったことで知られる有名な作品。ネットで立派な解説がいろいろ読めますので、今さら私が何かを書いたところで、申し訳ないばかりなのですが…。若くて無邪気なローラローラに一目惚れし、すべてを捨ててでも一緒になろうとする教授が哀しい。老いらくの恋は激しいんですよね。「教授+博士」とうダブルの肩書きは、ドイツでは水戸黄門の印籠。誰もが「はは~」っとなっちゃうくらい、権威があるものだと思います。でも、そんな肩書きも場末で陽気に歌う若い娘には通用しない。「それが?」といった反応に、教授はある種の新鮮さを感じたのではないでしょうか。若くてはつらつとしていて したたかで、小悪魔的な魅力があって。それまで大切に守ってきたものを教授に捨てさせるのに十分な魅力だったのでしょう。それがいつしか娘の下僕のようになり、ひざまずいてストッキングをはかせるほど落ちぶれてしまいます。誇り高き教授も肩書きや職を失うと、こうも惨めなのか。カレンダーが映るシーンがありますが、時は1929年。世界恐慌の時代ですよね。町は失業者であふれ、その日のパンを稼ぐだけでも大変な時代。ラート教授のような運命をたどった紳士も多かったのかも。

 この作品の監督はドイツ系ユダヤ人ジョセフ・フォン・スタンバーグ。幼い頃にアメリカにわたりましたが、ドイツに戻ってこの作品を撮っています。無名だったマレーネ・ディートリッヒを発掘して主役に抜擢した話は有名です。原作はハインリッヒ・マンの「Professor Unrat」。教授の名は「Rath(ラート)」でしたが、生徒たちが頭に「un」をつけて、「Unrat(ウンラート)」と呼んでいたことに由来します。Unrat とは「汚物、クズ、排泄物」という意味。原語で考えると哀しいです。そのあだ名のとおり、悲惨な最期を遂げます。自身が教鞭を執っていた高校の教室に遺体が転がっていたのですから…。

 ご参考までに、ある映画評を引用いたしますね。個人的には、うがった見方のように思えるのですが…:
『高校教師という職業が、ドイツでは一つの権威を象徴し、女との生活に託した自由への脱出が、結局主人公を自滅させる――と見るのはクラカウアーである。映画の成功は、ディートリッヒという新しい性の魅力をめぐるマゾ的な共感によるものにほかならない。とすれば、この自虐性こそ、高校教師に代表されるドイツ中産階級の立場――やがてヒトラーに屈服する彼等の未来を予言していると言えるのである』(以上、キネマ旬報社「世界の映画作家34ドイツ・北欧・ポーランド映画史」より引用いたしました)

(あり注:クラカウアーとは、「カリガリからヒトラーまで」の著者である学者ジークフリート・クラカウアーのことです)

ホーム | Category : 無声映画~トーキーコメント:アイコン Comment0Trackback0
2011/07/27(Wed)

吸血鬼ノスフェラトゥ

       ノスフェラトゥ1

『吸血鬼ノスフェラトゥ』 (原題:Nosferatu, eine Symphonie des Grauens、1922年)

Friedrich Wilhelm Murnau (フリードリヒ・ヴィルヘルム・ムルナウ)監督
JOFA Atelier (ヨファ撮影所) 制作
Max Schreck (マックス・シュレック) オルロック伯爵
Alexander Granach (アレクサンダー・グラナッハ) 不動産業者クノック
Gustav von Wangenheim (グスタフ・フォン・ヴァンゲンハイム)フッター

 時は1838年。ヴィスボルクという町に暮らすフッターは美しい妻エレンと幸せに暮らしていました。不動産業者クノックは自分の下で働くフッターに言います。「トランシルヴァニアのオルロック伯爵が、古くて荒涼とした屋敷を探しておられる。お前の家の向かいにある家をお薦めしろ」と。早速、フッターは伯爵と会うべく、トランシルヴァニアへ馬車で向かいます。そこは亡霊が出るとの噂が絶えない地でした。
 トランシルヴァニアに近づくと、馬車の御者は逃げ出してしまいます。地元の住民ですら近づかない呪われた地なのでした。フッターは迎えの馬車に乗り、伯爵の城へと向かうのでした。
 城で夜を過ごすにつれ、フッターも異変に気がつきます。首に何かの刺し跡が残っていたのです。危険を察したフッターは急いで逃げ出します。一方、伯爵もいかだを使い、ヴィスボルクへと向かっていたのでした。町では疫病が流行り始め、人々は次々と死んでいきました。そして夫を待つエレンに吸血鬼の魔の手が…

*********************************

「メトロポリス」のフリッツ・ラング監督と並び称されるサイレント映画の巨匠、F.W.ムルナウ監督の吸血鬼映画です。ホラー映画の原点とも言われているそうです。有名な「吸血鬼ドラキュラ(ブラム・ストーカー作)」を映画化する予定だったそうですが、著作権の取り扱いについて折り合いがつかず、ムルナウは登場人物の名前やタイトルを変えて制作したと言われています。(たとえば、ドラキュラ伯爵 → オルロック伯爵、という風に。) しかし原作者側は納得せず、著作権について制作後も双方が争う事態になりました。

 他のサイレント作品と同様、本作もオリジナルのプリントは紛失。復元に多くの手間がかかったそうです。残っていたフランス語版や、海外のアーカイブに保存されていたコピーを基に復元されたのこと。挿入される字幕(インタータイトル)もアーカイブに残されていたコピーや資料を基に、新しく作り直すなどして完成させたそうです。

 光と影を駆使した構図が当時としては斬新。1929年にはアメリカでも公開されました。伯爵が目をつけた建物はリューベックの塩の倉庫で撮影されたそうです。ひたひたと迫ってくる吸血鬼オルロック伯爵の影は確かに恐ろしい。大写しになった伯爵の顔は、ちょっぴりユーモラスではありますが…。なお、コチラのサイトでは、様々なバージョンの DVD ジャケットが見られます。元祖ホラー映画は、やっぱり人気なんですね。

参考サイト Filmportal(ドイツ語)

    のすふぇらとぅ2
ホーム | Category : 無声映画~トーキーコメント:アイコン Comment2Trackback0
2011/07/24(Sun)

メトロポリス

メトロポリス1

『メトロポリス』 (原題:Metropolis 1926年制作、1927年公開)
Fritz Lang (フリッツ・ラング)監督
Thea von Harbou (テア・フォン・ハルボウ)脚本
Brigitte Helm (ブリギッテ・ヘルム) マリア/アンドロイド役
Gustav Fröhlich (グスタフ・フレーリッヒ) フレーダー役

 時は2026年。舞台は高度に発展した未来都市「メトロポリス」。楽園のように華やかで何不自由ない生活を享受する支配者階級の陰で、労働者たちは地下に追いやられ、苦しい生活を強いられていた。大資本家の息子、フレーダーは貧しい子供たちの面倒をみるマリアという美しい女性と出会う。彼女を追って地下都市へ足を踏み入れたフレーダーは貧富の差に驚き、何とか労働者たちを救おうとする。一方、ロートヴァングという名の科学者がマリアに似せた美しいアンドロイドの制作に成功する。アンドロイドは地下都市へ潜入し、労働者をあおるのだった。権利に目覚めた労働者たちは立ち上がる。一方、機械で制御された都市の中枢部が暴走し始め、制御不能に陥る。メトロポリスが水没する危機が迫っていた…。

**********************

 20年代に制作されたとは思えないほど斬新な作品です。SF映画の原点にして頂点であるとも言われ、その完成度の高さには驚かされます。当時の世相を反映してか、「資本家と労働者の対立」が1つのテーマとなっております。映像からも分かるとおり、未来都市の描写は見事!の一言。高層ビルの合間を走る「ゆりかもめ」のような交通手段も見えます。また、アンドロイドを完成させるシーンも斬新。今でも通用しそうです。出来上がったアンドロイドの美しいこと…!莫大な予算をかけて制作されただけのことはあります。CGのない時代に、よくここまでのものを作ることができたと、感心せずにはいられません。なお、途中で歓楽街「ヨシワラ」が出てきます。この頃から有名だったんですね、ヨシワラ。スケスケのセクシードレスで怪しく踊るマリアの映像も挿入され、男性の視聴者にサービス。こんな映像も当時としては斬新だったのではないかと思われます。

メトロポリス2


 労働者が立ち上がるというストーリーがアメリカでは敬遠され、アメリカ版は大幅に削除・編集されたそうです。なにしろ、作品のキャッチフレーズが「頭脳と手の仲介者は心でなくてはならない」ですから社会主義的なにおいがぷんぷん。その後、第二次大戦が始まったこともあり、現存するプリントは多くの部分が欠けています。欠損部分は完全には復元されていないため、話が飛んでしまったように思われる所もあります。しかし朗報も。2008年にはブエノスアイレスで新たに16mmフィルムが見つかり、ほぼ完全な形であることが判明。2010年まで復元作業が行われたとのこと。さらに長くなった新しい2010年バージョンが2011年にドイツで公開されたんだそうです。Metropolis 2010

 監督のフリッツ・ラングはユダヤ系ということで、ナチによる迫害を怖れてアメリカへ移住しました。その後もハリウッドで映画を撮っています。(ただし、ナチのプロパガンダ映画を作るようゲッベルス宣伝相に迫られたその日にパリ経由で逃亡したとう美談は作り話だったということが、最近の研究で分かった模様。「ナチ娯楽映画の世界(瀬川裕司著)」によると、『ヒトラー政権に対して彼の側から積極的に売り込みをしてまで作家生活の延命を図っていたという事実が確認されている(以上、引用終わり)』んだそうです。でも、時代が時代ですから仕方ないですよね。)

参考サイト 映画保存協会「増幅する『メトロポリス』に関するノート」 Filmportal(ドイツ語)

       メトロポリス3
ホーム | Category : 無声映画~トーキーコメント:アイコン Comment0Trackback0
2011/07/23(Sat)

カリガリ博士の小屋 ~ ドイツ表現主義

2963448604_e1835dd6ce.jpg

『カリガリ博士の小屋』  (1919年)
Das Kabinett des Dr. Caligari
Robert Wiene (ローベルト・ヴィーネ)監督
Carl Mayer(カール・マイヤー)、Hans Janowitz(ハンス・ヤノヴィッツ)脚本
Decla-Film-Ges. Holz&Co.(デクラ映画会社)制作
Werner Krauss (ヴェルナー・クラウス)カリガリ博士
Conrad Feidt (コンラート・ファイト)夢遊病者ツェザーレ

 予言を行う夢遊病者ツェザーレを引き連れ、各地の歳の市を回って見世物小屋を開く謎の催眠術師カリガリ博士。フランシスとアランは見世物小屋を訪れます。そこでアランはツェザーレに自分の寿命を予言してもらいます。そのアランは、予言どおり翌日何者かに殺されてしまいます。博士の周囲で起きる連続殺人事件の真相は… (最後にどんでん返しがあります)

****************************
カリガリ2

 私がこの映画を初めて見たときは、ホントに衝撃を受けました。私が知っているサイレント映画といえば、アメリカの喜劇映画。ドイツのサイレントは初めてでした。俳優は独特のメイクを施し、インタータイトル(挿入される字幕)は変わった手書きの字体、映る建物はみんなデフォルメされ、ひどく歪んでいたり、曲がっていたり…。さらにストーリーも奇々怪々。狂気の世界が繰り広げられ、おどろおどろしい雰囲気。なんじゃ~こりゃ?!

 それが「カリガリ博士の小屋」の最初の印象でした。私が衝撃を受ける80年前に世界の人がこの映画に衝撃を受けたといいます。

 第一次大戦後の1920年代、ドイツでは「Expressionismus、表現主義」と呼ばれる芸術運動が盛んになっておりました。その潮流に乗り、映画界でも新しい流れが生まれたそうです。ドイツ映画のライバルはハリウッドやフランス映画界。しかし人材の面でも予算の面でも太刀打ちできなかったとのこと。低予算で対抗するには独自色を、ということでウーファ映画会社など大手が抽象的な演出を取り入れ、独自の世界を作り始めたそうです。

 表現主義の映像は独特の雰囲気をかもし出しています。建物は幾何学的であったり ゆがんでいたり 不自然な角度であったりと、観る者を不安な気分にさせます。扱うテーマは狂気や死、怪奇現象など、おどろおどろしいものが多いそうな。よーく見ると(いや、よく見なくても)セットはチャチいのですが、とにかく薄気味悪い。ドッペルゲンガー(分身)あり、妖怪あり、怪奇現象あり。光と影を駆使した映像は美しくもあり、怪しげでもあり。

 この「カリガリ博士」に対し、最初に熱烈な拍手を送ったのはアメリカ人だったそうです。彼らは今まで、こんな雰囲気の映画を目にしたことがなかったから。ドイツ人が驚いたのは、むしろそういった反応だったそうで、慌てて第二、第三の表現主義的映画を作り始めたとか。

『戦後の世界をおおったのは破滅のムードであった。戦争、殺戮、革命、インフレ、失業、飢餓。19世紀がつくりあげた価値観は転倒し、文化の合理性、理性の尊厳はもはや通用しない。時代は狂っているし、社会は歪んでいる。人間は本能を剥き出しにして、内的な衝動のままに、破滅に向かって生きるのだ。戦争に勝った国でも、負けた国でも、革命が成功した国でも、挫折した国でも――人々はこぞって<カリガリスム>にとらわれた。「あなたはカリガリにならなければならない(Du musst Caligari werden.)映画のなかに出てくるこの不思議なタイトルが、世界中に一つの共感を呼び起こしたのである』(キネマ旬報「世界の映像作家34 ドイツ・北欧・ポーランド映画史」より引用)

 「カリガリ博士」は古い作品で著作権も切れているせいか、DVDもいろいろなバージョンが販売されているようです。YouTube でも視聴可能。英語版が多いのですが、オススメは絶対にドイツ語のオリジナルバージョン!当時のままの、手書きのインタータイトル(挿入される字幕)が不気味でよいのです。

参考サイト
ホーム | Category : 無声映画~トーキーコメント:アイコン Comment0Trackback0
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。